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2006年09月21日
Live With Momoko Vol.16 [Live With Momoko, LIVE] 23:55
イェーイ! 日時:9月22日(金)19時30分開演。 短かった夏が過ぎ去って、さわやかな風が秋の訪れを感じさせてくれる良い季節となりましたが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか?……なあんちゃって(笑)。芸術の秋に相応しく、ライヴのお知らせもちょっと格調高くおおくりしてみようかと思ったのですが、僕にはやっぱり無理みたいです(笑)。 ブラジルの音楽というと、すぐにサンバやボサノヴァが思い浮かぶ人は多いと思います。僕にとっては、サンバといえばやっぱり夏のイメージで、秋の訪れに相応しい音楽というとやっぱりボサノヴァの方かなぁというイメージなのですが、皆さんはいかがですか?似ているようで違う、でも、違うようで本質的には同じ部分もたくさんあるこの二つの音楽を、正しく理解するのはなかなか難しいようです。そこで、今回あらためてボサノヴァについて調べてみたら、とっても丁寧に分かりやすく解説してくれているページがありましたので貼り付けてみますね。別に詳しい知識なんかなくたって音楽を楽しむことはできると思いますが、知識があるとその楽しみ方が広がるのもまた事実です。僕たちの演奏も、これを読んでからだとまた違って聞こえてくるかもしれません。 -------------------------------------------------------------------------------- ボサノバ サンバやショーロをはじめとするブラジルの伝統的な大衆音楽、特に「サンバ・カンサゥン」を基に、中産階級の若者たちの求めていた、心地よく洗練されたサウンド、新しい感覚(Bossa Nova)のサンバとして成立した。様々な見方があるが、少なくとも、本来のボサノバはサンバの一種であると定義できるし、それまでのブラジル音楽の流れを変えた、と言える。 目次 [非表示]
ボサノバ誕生の中心となった人物として、作編曲家のアントニオ・カルロス・ジョビン(トム・ジョビン)、歌手でギタリストでもあったジョアン・ジルベルト、ブラジル政府の外交官にしてジャーナリストも兼ねた異色の詩人ヴィニシウス・ヂ・モライスらが挙げられる。 ボサノバの誕生には、ジルベルトは幾日もバスルームに閉じこもってギターを鳴らす試行錯誤の末、それまでにないスタイルのギター奏法(いわゆるボサ・ギターのスタイル)を編み出すことに成功したという逸話が残っているが、その際、変奏的なジャズや抑制された曲調のサンバであるサンバ・カンサゥン(1950年前後に発展した)、バイーア州周辺で発展したバチーダというギター奏法の影響は無視できない。彼を中心とするミュージシャンらの間で、1956年から1957年頃、ボサノバの原型が形作られ、発展したものと見られている。 1958年、モライスが作詞、ジョビンが作曲した「Chega de Saudade(想いあふれて)」が、ジョアン・ジルベルトの歌で最初のボサノバレコードとして発表された。喜怒哀楽もあらわに、ドラマティックに歌われるのが常であったブラジル音楽の系譜において、つぶやくように歌われるこの新しいスタイルは当初、違和感をもって迎えられたが、抑制されたメロディーと洗練された詞は、従来のブラジル音楽に飽き足らなかった若者たちの心をとらえ、やがて広く受け入れられた。 「ボサノバ」(「新しいタイプの才能」)という言葉が確認されるのは、ジョビンとニュウトン・メンドンサが共作したヒット曲「Desafinado(ヂザフィナード)」(1958年)の詞の一節で、ほどなくしてこれらの音楽を総称する言葉となった。「Desafinado(調子っ外れ)」という題名自体、ボサノバにおける強いアマチュアリズムの影響を思わせるものである。実際、多くのボサノバ作曲者たちは、ギターを抱えて自作の歌を弾き語った。本来歌い手ではない彼らのささやくような歌唱は、ラテン音楽において優位を占めていた、大きな声量による朗々たる歌唱とはかけ離れたものであったが、ボサノバにはむしろ非常に合った歌唱法であった。彼らは歌い方の面でもまた、一つの新しい在り方を示したのである。 [編集] 以後の一時期、アメリカではボサノバ・ナンバーに英語詞を付けたものが、ポピュラー歌手によって盛んに歌われた。だが、その実状は多分にエキゾチシズムを帯びた一過的なものとして消費された感が強く、歌唱や演奏の在り方も、本来のボサノバからはかけ離れたものであった。その傾向は日本においても共通するようである。この「本来のボサノバ」と「ボサノバ風の亜流音楽」の並立は、現代のリスナーの相互間に、奇妙な階級対立を招く原因となっている。 戦後における都市文化のらん熟期にあったブラジルには、若く才能あるアーティストたちが輩出し、ボサノバは1960年代初頭に隆盛を迎えた。 [編集] 抽象的・享楽的な傾向のあったボサノバの歌詞も、体制に対する批判性の強いものへと変わっていった(例:ナラ・レオンのアルバム「ナラが自由を歌う」や、マルコス・ヴァーリのアルバム「ヴィオラ・エンルアラーダ」など)。これらをボサノバのカテゴリーから外してとらえる批評家も多いようだ。 1960年代中期以降、ボサノバはブラジルの大衆音楽のムーブメントからは外れていったものの、1970年代から現代にまで連なるMPB(Musica Popular Brasileira、ブラジリアン・ポピュラー・ミュージックの意)と呼ばれる、よりエスニックな新ジャンル創成の母胎となり、その影響は今なお続いている。そして、世界各国のポピュラー音楽に多大な示唆を与えてもいる。 1950年代〜60年代に作られた多くのボサノバ・ナンバーは、そのそう快さ、親しみやすさから、今なおスタンダードとして世界各国で聴かれ、また歌唱・演奏の題材として頻繁に取り上げられている。その中で最も有名な曲と言えば、モライスの詞とジョビンの曲になる「Garota de Ipanema(イパネマの娘)」(1962年)であろう。 日本には特にボサノバのファンが多いと言われている。それに反して本国ブラジルの若い世代では、ボサノバは昔の音楽というイメージがあり、あまり聴かれていないという。 ザ・ビートルズがボサノバを殺したと言う言葉があるように一時的にビートルズのロックがブラジルに流行したことにより、ブラジルのボサノバが衰退したとされている説もある。 [編集] ギターほどではないが、ピアノももう一つのボサノバにとっての重要な楽器である。ジョビンはピアノのための曲をよく書き、彼のレコードにおいて彼自身がピアノを弾いてレコーディングした。このピアノはまた、ジャズとボサノバをつなぐ架け橋としても用いられ、ピアノのおかげで、この2つのジャンルが相互に影響を及ぼす結果となったと言える。 ドラムとパーカッションは、ボサノバにおいて本質的な要素の楽器ではない(そして事実として、制作者たちはなるべくパーカッションをそぎ落とそうと考えていた)けれど、ボサノバには独特のドラム・パターンおよびスタイルが確立した。これは8分音符のハイハット(サンバのタンブリンの代わり)の連打と、リム・ショットによって特徴づけられている。 ・ボサノバのドラム・パターン例 [編集] "http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%B5%E3%83%8E%E3%83%90" より作成 エントリーのURL: http://www.cripep.com/wolfy/archives/2006/09/live_with_momok_13.html トラックバック用URL: http://www.cripep.com/cgi-bin/tdtv_mt_utf8/mt-tb.cgi/1732
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